言語と文化と風景評価
風景の評価を規定する要因は何か?
この疑問は昔からず〜と抱いてきたのですが、ここ数年、日本とロシアの自然風景に対する印象の違いを比較してきて、再び私の頭の中をぐるぐる回っています。
“人間”という生物的には、アップルトンのProspect - Refugeとそのバリエーションだろうと思っています。
その上に、和辻のいう風土が乗ってきて地域差が生まれ、さらに文化が乗っかる事で同じ環境条件の地域間でも違いが出るのだと。
風土までの環境条件による地域差は理解しやすいし納得出来るが、文化の差が難しい。
教育?情報?体験?etc・・・
しかし、短期的な教育・情報では、風景の嗜好性には影響していない。
長期的には効果があるのだろうか?それこそが文化の違いを導く要因なのだろうか?
そんな折、言語学をやっている知人の研究を見て、言語の“リズム”がとても気になった。
wikiによると、音声言語は言語により異なるリズムがあり、英語やロシア語の強勢リズム、フランス語やスペイン語の音節リズム、一文字一文字を等間隔(モーラ(拍))で発する日本語のモーラリズムなどがあるそうだ。
実は、無意識のうちに、私は実体験としてこのリズムの影響を感じていたのです。
アメリカ滞在中、現地で生活している日本人と話した際、「日本語で話す自分と英語で話す自分の人格が違う(英語の自分はややハイになる)」という話を聞かされました。
確かに、私もそんな印象を持っていました。
言語のリズムは人の印象や性格にまで影響するのかもしれない、と。
(ひょっとすると言語学や心理学で既に知見があるのかもしれませんが)
昔、テレビ朝日の「題名のない音楽会」で、オペラとミュージカルをイタリア語、英語、日本語で歌って比較するという実験をしていました。
日本人の歌手が同じ曲をそれぞれの言語で歌うのですが、やはりオペラにはイタリア語、ミュージカルには英語がしっくりくるのです。
アメリカの学生は講義中とても良く発言しますが、日本の学生はあまり声を発しません。
ずっと、講義のやり方と幼少期からのトレーニングだと思っていましたが、これも言語のリズムが影響しているのでは?と妄想が膨らんでいきます。
言語のリズム感はそのまま文化のリズムへと表象しているのではないか?
文化のリズムは空間のリズムとしても表象し、風土(環境)とも関連し合っている要因なのではないか?
言語学、心理学、人文地理学、都市計画、これらをまとめて考えねばならないとなると、ランドスケープはますます拡散していくなぁ。
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